東学坊コラム
平成20年 3月28日号

大山講とは、伊勢講・富士講・筑波講・成田講などと同様、信仰者が寺社に
参拝する行為やグループをいいます。江戸時代中期には社会情勢や経済も安定し、
庶民はレジャーに目を向け始め湯治や花見などを楽しむようになりました。
中でも旅行は庶民にとって最大の楽しみで、当時は国境を越えるには通行手形が
必要でしたが、○○参りや○○講に行くといえば簡単に手に入れられました。
 
庶民は町内単位や職人の師弟関係、業界仲間などで講を作り、参拝がてら道中を
楽しみました。
特に大山は歌舞伎界の人たちには芸事にご利益があると言われ、町火消しや農家の
人たちには雨の神様として崇められ、とても人気がありました。雨乞い信仰の
講としては関東一円の農村部に展開し、遠くは甲信越(山梨・長野・新潟)や静岡・
福島などにも及びました。農家の講の多くは、講員を代表して毎年数名ずつが交替で
参拝する「代参」という方法を取りました。費用は積立を実施してそれを当て、
全員が参拝した時点で満願としていました。
 
また、子供が15歳になると大人として扱われ、そのお祝いとしての
「十五参り」に木太刀を携え大山に参拝されました。
これは源頼朝が戦勝祈願に太刀を奉納した古事にならったものです。

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